鈴鹿山脈 鬼ヶ牙 2016年6月12日
山岳会の先輩方からの誘いもあり、新人の私に本番を経験させてくれるとの事だった。
天候は生憎の雨だったが、期待に胸を膨らませる私の心は晴れやかだった。
石水渓 駐車スペースから5分程の距離で1P目に取付いた。
現場に到着した時から既に雨が降っており、状態は決して良いとは言えなかった。
熟練者に囲まれ、悪天候での登攀まで経験させて頂けるなんてこの上ない贅沢だ。
私は眼前に迫る岩壁に恐怖感など微塵も感じなかった。
8:50 1P 40m スラブ状のフェース。
濡れたスラブに対してクライミングシューズのフリクションは効きが悪かった。
当然ながら通常のドライコンディションより難易度が高くなっているように感じた。
このいつ滑るか判らない緊張感が、必然的に足の使い方を学習させてくれた。
9:30 2P 25m 人工ルート。
1班は左ルート、2班は右ルート。 アブミを使用してのエイドクライミング。
フィフィを積極的に使用し、腕の負荷を減らしつつハング状の岩を越えてゆく。
揺れても慌てずに体幹をしっかりとし、バランスを保って登ればさほど難しくはない。
しかし、急にアブミを使用しなくなる瞬間が怖くなる錯覚に陥るのが強烈だった。
10:30 3P 25m 5.10a。
ここは難しい割に短時間で抜けることが出来た。 どちらかと言えば登り易い印象。
短いと言えどウェットコンディションで状態は良くなく、難しいには変わりなかった。
振り返ると、ここに挑むトップの精神力を考えるとゾッとしたのを覚えている。
10:50 4P 30m 5.8。
壁が荒れてきて、藪の多さがここから先に挑む登攀者が少ないことを物語っていた。
先行者とロープの干渉で落石が多くなってきたので、常に上部に注意を払う。
ボルトは少なく、立木を利用して支点を取る。 的確なルート取りが要求される。
手と足に濡れた土が付着し、グリップが悪い上に雨が強くなってきた。
11:50 5P 25m ブッシュのトラバース。
ここは岩壁に向かって大きく右に藪漕ぎで進んで行く。
登攀要素は少なくしっかりとした木を掴めるので、比較的進みやすいとゆう印象を受けた。
12:20 6P 40m ブッシュとネット。
5P目と同じく一般登山道にもよくあるようなブッシュ地帯。
一ヵ所、濡れていて乗越えるには困難な高さ2m程の岩があった。
赤テープの立木を利用して岩を越えるが、濡れた木と岩はそれを容易く許さなかった。
私は足を滑らせてしまい、万歳の姿勢で岩の間に1m程滑って両肘を岩に打ち付けた。
この時、ゴグンッとゆう鈍い音とともに、脱臼癖のある左肩を脱臼してしまった。
私はトップのK淵さんに脱臼の旨を伝え、ザイルを緩めてもらい安全地帯に移動。
肩を整復しようと試みたが抜け方が悪かったようでどうやっても嵌らなかった。
後続のH平さんが私の元に辿り着き、応急処置で痛み止めを与えてくれた。
13:15 この瞬間から私は要救助者になった。 自力ではビバークしか出来ないのだ。
K淵さんが私の元まで降りてきて、私の状態を確認し今後の対応策を考えていた。
懸垂下降で下山するか登り詰めて一般登山道で下山するかを検討。
濡れた岩壁を下るより安全を考慮し、登り詰めて登山道から下山する方向だった。
しかし時間が掛かり過ぎたためにTokuさんも私の地点まで降下してきた。
視界は悪く風雨も激しくなり始めていた。 この状況では救助ヘリは飛べない。
私は全身に激痛が走っていたが、どうにか痛みを耐える事は出来た。
TokuさんとOK村さんの所見では、この状況では登攀は不可能とのことだった。
補助したとしても私の左腕は死んでいる為に、片腕で登攀する必要があったからだ。
そうなればビバークか懸垂下降で今来たルートを下山するしかない。
下山を決定してからの皆の行動は実に早かった。 全く無駄の無い動きとはこのことだ。
私は自分の不甲斐なさに情けない気持ちに襲われ、何とも言えない気持ちになっていた。
ピークを目前に引き返さなければならない状況を作ってしまったことを悔いていた。
Toku 「どうやってでも無事に降ろしてやるか安心しろ。」
K淵 「何も気にするな、君は何も悪くない。絶対に無事に下山しよう。」
メンバー全員の優しさが私を安心させてくれるとともに、痛みを和らげてくれた。
14:00 下山開始。
この時、H平さんが受入先の病院を確保、下山後の対応も既に段取りしてくれていた。
私の症状と下山予定時刻、病院への到着時間を伝え万全の用意をしてくれていた。
K淵さんが先行で私が降り易いルートで下降し安全を保持。
次に私はTokuさんに補助ロープで確保され、使える右手で8環を操作し懸垂下降。
身体を動かす度に全身に激痛が走ったが、可能な限り早くロープを手繰って操作した。
メンバーの素晴らしいチームワークもあり、6Pもの懸垂下降を約2時間で完了。
要救助者となった私を安全且つ迅速に、それも日没前に下山させてくれたのだ。
16:20 石水渓 駐車スペース到着。
下山後、回生病院にて整復処置を受け、治療してもらい回復した。
脱臼後の時間が長く、運動後の筋弛緩もありスムーズに整復出来なかった。
その為、少量の全身麻酔で処置を受け、18:00に病院を後にした。
―あとがき―
私がサフラン会に入会して約3ヶ月になる。
自由を求めて山に入り、俗世間のしがらみから解放される為に登山を楽しんでいた。
山を通じて出会った仲間たちが居る。 心から兄弟と呼びあえる程の友達が出来た。
沢山の山で遊んでいる内に、色々と行きたい場所も出来てきた。
所謂、バリエーション要素のある山行でなければ行けない場所である。
それに伴った技術、経験、知識は必然的に必要になってくる。
技術と知識があれば助けることが出来たかもしれない命を守りたい。
技能と経験があれば行けるであろう行きたい場所にも行ってみたい。
私は付き合いのあったTokuさんに相談し、サフラン会の門を叩いた。
自分はクライミングはやらないだろうと思っていた。
ザイルワークを学ぶために参加した岩トレで面白さを知ってしまった。
沢もそうだ。 今までは避けていた場所から入る面白さを知ってしまった。
もう後戻りは出来ないだろうと思う。 山のない生活は考えられない。
だが、フォールを経験する前に私は要救助者になった。
先輩方の動きを見て、私は山岳会が山岳会である所以を理解したとともに、
技能、知識、経験、そして心が無い者は自由に山を謳歌する資格など無いのだと痛感した。
私は左肩の手術を受けようと思う。 数ヶ月~半年は犠牲になるが、その価値はある。
脱臼の不安要素を無くして山に挑みたい。 私生活でも不安は無くなるだろう。
懸命に私を育てようとしてくれている先輩方に私も懸命に応えたい。
いつか私の様に助けが必要な誰かを助けれる位の山屋になりたいと心から思った。